「 私 は 悲 劇 を 愛 す る。
悲 劇 の 底 に は
何 か し ら
美 し い も の が あ る か ら。 」
私はこのチャップリンの言葉に深く共感しています。
私は30年以上の不育症の治療のなかで、
4000組以上の不育症ご夫婦を治療させていただき、
1回の妊娠治療につき、
約8割の成功率を残しています。
今年は、16回の流産の後、
17回目の妊娠治療で初めて、
元気な赤ちゃんを出産された不育症患者さんも
経験させていただきました。
これまでに、
非常に多くの不育症患者さんからの
感謝のお手紙と
元気な赤ちゃんの写真を
いただいています。
本当にうれしいことです。
自分の医師としての人生の生きがいです。
神様に感謝しています。
でも、
もっと深く
心を動かされ
私の記憶の中に
焼きついて離れない患者さんたちが
いらっしゃいます。
どうしても
うまくいかず、
年齢の壁に阻まれて、
治療を断念した人たちです。
その悲しげな、
そして、
やさしいまなざしが
忘れられません。
世界の喜劇王、
チャップリンは
世界中の人たちに
笑いという心のプレゼントを
与え続けた人ですが、
悲劇的な運命に対しても、
立ち向かい、
受け入れる、
受け入れるしかない心の深淵に
人間の美しさを
感じ取っていたのではないでしょうか。
子宮内で成長する赤ちゃん(細胞、組織)は、
妊娠女性から見れば、「非自己」です。
子宮内に旦那さんの皮膚「非自己」を移植すれば、
100%拒絶されます。
なぜ、赤ちゃんだけ、拒絶されないのでしょうか?
それは、妊娠という現象が、
「寛容」という世界
を作り出しているからです。
平成22年4月に亡くなられた多田富雄先生は、
世界で初めて、免疫細胞の中に、
抑制T細胞という免疫系の暴走を抑える細胞を
発見されました。
免疫系は、「非自己」を拒絶するだけではなく、
場合により、
「 非 自 己 」 と 共 存 す る
こともできるのです。
また、免疫系は、精神・神経系の影響を受けています。
多田先生には、約20年前に名古屋で開催された
日本生殖免疫学会において、ご講演いただきました。
妊娠現象そのものが、
寛容という免疫機構によって、
成立しているからです。
多田先生の生前の最後のメッセージは、
「長い闇の向こうに、
何か希望が見えます。
そこには、
寛容の世界が広がっています。」
という意味深いお言葉でした。
精神的に、
「 寛 容 と い う 世 界 」
を受け入れたとき、
不育症という苦難
からも開放されると、
私は思います。
不育症のひとつの治療法として、
実際的には、
各種の免疫検査により、
拒絶反応が強いと判断された場合には、
寛容を誘導する免疫療法が
有効です。
大学病院に勤務して不育症患者さんを診ていた当初は、
患者さんのこころの状態に大きな関心はなく、
検査データがすべてでした。
医学研究者として、
EBM(証拠に基づいた医療)を不育症の検査と治療に
実践できるようにするため、
まずは、できるだけ多くの検査(客観的な検査)をしました。
しかし、その中には、
複雑で数値化し難い精神的分析は含まれていません。
極論すれば、不育症患者さんを診るのではなく、
その検査データを見ていました。
今は、身体的な状態以外に、
こころの状態も、同時に診させていただいています。
精神的な原因の存在はもちろんのこと、
こころのアンバランス由来とも考えられる
身体的な異常検査項目が、
少なからず存在していることが判明してきているからです。
流産するということが、どれほど、
その人にトラウマ(心的外傷)になっているのか。
流産した。お産が流れた。妊娠が中断した。
何か物がうまく成長できなかった。
このような感覚は、
流産を経験したことのない人の感覚と思います。
流産手術時のもうろうとした半覚醒の時に、
びっくりするようなこころの深層心理を
無意識に表現される患者さんがいらっしゃいます。
たとえば、実例ですが、
「あかちゃ〜ん、私の命あげるのに〜。」
「一番つらかったのは、あかちゃんだよね〜。」
流産した子宮内の胎児は、
生まれて亡くなった新生児となんら変わらない
人(ヒト)であると、
私は思っています。
ただ、触れることはできない、
声を聞くことはできない、
画面を通してしか見ることができないだけなのです。
人社会が法律で定義する「人間」と、
生物としての「人」は、往々にして違っています。
この違いが、
周囲の人とご本人の感覚のズレを生んでいるのかもしれません。
今までになくした赤ちゃんの中には、
助けられた可能性のある赤ちゃんもいると思います。
しかし、
決して、今までの自分を責めないで下さい。
なぜならば、
今までのあなた自身も、
一生懸命に生きてきたのですから。
今までの赤ちゃんを思い出してみてください。
妊娠して、わずかな時間で流産してしまったとしても、
ほんの少しでも、
赤ちゃんといっしょに、幸せなときを過ごしたはずです。
その一瞬の時間が輝いていたはずです。
この思いが、これからのあなたの人生に
必ずプラスになると思います。
一瞬でも、
新しい命の芽生えを感じることができたのですから。
そして、
あなただけの遠い記憶のなかに、
その赤ちゃんたちは
生き続けていることができるのですから。