大学病院に勤務して不育症患者さんを診ていた当初は、患者さんのこころの状態に大きな関心はなく、検査データがすべてでした。医学研究者として、EBM(証拠に基づいた医療)を不育症の検査と治療に実践できるようにするため、まずは、できるだけ多くの検査(客観的な検査)をしました。しかし、その中には、複雑で数値化し難い精神的分析は含まれていません。極論すれば、不育症患者さんを診るのではなく、その検査データを見ていました。 今は、身体的な状態以外に、こころの状態も、同時に診させていただいています。精神的な原因の存在はもちろんのこと、こころのアンバランス由来とも考えられる身体的な異常検査項目が、少なからず存在していることが判明してきているからです。 流産するということが、どれほど、その人にトラウマ(心的外傷)になっているのか。 流産した。お産が流れた。妊娠が中断した。何か物がうまく成長できなかった。このような感覚は、流産を経験したことのない人の感覚と思います。 流産手術時のもうろうとした半覚醒の時に、びっくりするようなこころの深層心理を無意識に表現される患者さんがいらっしゃいます。たとえば、実例ですが、「あかちゃ〜ん、私の命あげるのに〜。」「一番つらかったのは、あかちゃんだよね〜。」 流産した子宮内の胎児は、生まれて亡くなった新生児となんら変わらない人(ヒト)であると、私は思っています。 ただ、触れることはできない、声を聞くことはできない、画面を通してしか見ることができないだけなのです。人社会が法律で定義する「人間」と、生物としての「人」は、往々にして違っています。この違いが、周囲の人とご本人の感覚のズレを生んでいるのかもしれません。